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常滑でINAXのライブミュージアムで出会った古いのに新しく美しい染付け古便器。
あんまり、印象的だったのでそれについて調べるのとともに紹介してみたいと思います。
陶器製の便器が初めて作られたのが江戸時代の安政期の瀬戸や常滑だと言われています。1854年~60年頃明治になってから市場に出回りだし、明治24年の濃尾大震災を契機に全国的に普及していったそうです。

この画像のように染付け古便器には牡丹と雀が描かれたものがほとんどのようです。
(逆に食器などには牡丹と雀のパターンは使われていないそうです。住み分けができてるともいえますね)

下の箱が2穴式になった珍しい形
角形からこの形が主流に。磁器製だと四角い金隠しを作るのが難しい為、早い時期にこの形に移行した。

向高(むこうだか)
向こう側が高くなった、小便器「置便」の底に穴を開け据え置型にしたもの
山形市平清水では、明治45年(1912)頃より、瀬戸の陶器製染付け便器を模倣して作られ始めた。鉄分
を多く含んだ土に陶石を細かく粉砕した泥を化粧掛けし、染付けを施して高温で焼いている。
陶器製にもかかわらず吸水性が少ないため寒冷地に適しており東北地方を中心に出回った。
福岡県筑後市・赤坂では、明治初年より、陶器製便器が作られ始めたといわれている。 鉄分を含んだきめ細かい土に緑青釉などの釉薬の掛け分けた、信楽風の便器。 現存しているものが少なく貴重。
肥溜め用の素焼きの甕(下甕)の産地で、安政元年から陶器製の便器が作られ始めたと言われている。 鉄分を含んだ土に飴釉や褐色釉、塩釉が施されており、土管の生産が忙しくて便器の生産は増えなかった。
滋賀県甲賀郡信楽町では、明治初年より陶器製便器が作られ始めたと言われている。 荒めの白土に釉薬を掛け分けたものが中心で、大便器は角型だけで小判形はつくられなかった。
愛知県瀬戸市周辺では、安政年間(1854~60)頃より陶器製便器を生産していたとされる。濃尾大震災(明治24年(1891))直後から、陶器製と磁器製が盛んに生産されるようになり、明治末年(1912)頃まで、染付けを施したものが主流を占めた。

これを厠において小便器の前に立ち用を足していたそうです。
見た目はスリッパですが陶器製なので当然重いです。
こんな風に置いておいて厠下駄を台として使うんでしょうね。
でもどんな意味があるのかちょっとわかりませんが……
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