

TOP > 歴史から知るトイレ(便所)とは?
「トイレ(便所)」とはもともと仏教からきた言葉で、「外ではなく室内で用を済ませることができる便利なところ」という意味合いがあります。
日本のトイレの歴史は長く、弥生時代では外に小屋を造って用をたし、鎌倉時代には武士たちは家の中に厠(かわや)を設置するようになりました。また農民(庶民)の間では排泄物が農耕物にとっていい肥料になることを理由に、トイレで用をたし、肥料として利用するようになりました。そして西洋文化が入ってきて、現在一般的になった洋式トイレが広がったのです。なお昔は「厠」「御不浄(ごふじょう)」「閑所(かんじょ)」「雪隠(せっちん)」などいろいろな呼び名がありました。
日本で初めて洋式トイレを造ったのは、同志社大学創始者の新島襄。現在では新島旧邸で実物を見ることができます。
日本人で初めて洋式水洗トイレを造ったのは、三菱財閥創始者の長男岩崎久弥。現在では東京台東区の旧岩崎邸で実物を見ることができます。
トイレという意味を指す「雪隠」という言葉は中国やってきたもの。中国の霊隠寺に熱心にトイレ掃除をしていた「雪とう」という和尚がいました。その和尚の名前の「雪」とお寺の名前の「隠」を取ったのが始まりです。
また、箱根の山で急に用を足したくなった豊臣秀吉のために千利休が「砂雪隠」を設け、その場を凌いだのが契機で「砂雪隠」が生まれました。後に千利休は茶会の日にお客様に清らかな場としての「雪隠」を見せてもてなし始めたのです。
厠は、数多くある便所の別名の中でも古く、奈良時代から見られます。
712年『古事記』には、水の流れる溝の上に厠が設けられていたことが示されており、川の上に掛け渡した屋の意味から、つまり「川屋」を語源とする説が有力といわれています。
また、現代では住居の中に便所を作るのが一般的だが、少し前までは母屋のそばに設けるのが一般的であったため、厠の語源を「側屋(かわや)」とする説もあるそうです。
戦国時代、自分の館に6畳間のトイレを作った名将、それは武田信玄。信玄はトイレを「物事を考える場所に適している」と考え、ニオイまで気にしてお香を焚いたり、トイレの傍にお風呂を付けたりしてトイレという空間を大事にしていたのです。その中で長い時には1時間以上戦術を練っていたと言われています。そんな信玄はトイレという大切なプライベート空間を敵に知られないように「山」と呼んでいました。あるとき家臣が「厠をなぜ山と呼ぶのでしょう?」と質問したとき信玄は「山には常に草木(臭き)が絶えぬから」と答えたそうです。
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